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「食」と向き合う

こんにちは〜!

モヤモヤした日々が続きブログお休みしてましたが、昨日2/16()に春節を迎え新たな1年の始まりに気分も何だかスッキリしています。

中国文化の影響を受けている国で、旧正月(春節)をお祝いしないのは日本だけみたいですね。(沖縄や奄美一部の地域を除く)

確かに沖縄に住んでる時は、旧正月のお祝いしていた気がします。

暦も国や宗教によって使われているものが違って、面白いです。

マイブームが、暦になりそうです!

一日一日、宇宙から違うエネルギーが流れているんだなぁ~と改めて感じます(マヤ暦の考え方)

 

最近『食』について向き合い、食べるものを見直しています。

そして私、お肉食べるのを辞めました。

*食に対しての個人的な意見なので、嫌な気持ちになりそうな方は閲覧注意

この結論に至るまで、すごく葛藤があり、迷い、モヤモヤしました。

まさか自分が肉を食べなくなるなんて、正直考えたこともなかったです。

むしろ肉食べない人の気持ちがわからなかったし、不憫だな〜くらい思ってた。

栄養偏るよ〜、脂不足ななっちゃうよ〜、美味しいのに〜、かわいそう〜位なもんです。

『肉食べるの辞める』

この決断は、自分でも意外ではあったんですが、何となくそうなるんじゃないかな〜と思い始めたのは、動物実験の実態を知ってから。

「うわッこんな事されて、無駄に命を使われてる動物がいるんだ! 何も知らなかったし、何も考えずに物を買っていたいたんだな〜…」

この事に、非常にショックを受けました。

これが自分の無知によって、無意識に絶たれる命について考えるきっかけになりました。

 

子供の時から、異常に動物が好きでした。

動物っていっても、身近な動物。

小学校1年生の時から家族だった「ももちゃん」雑種の真っ白い、今思えば北海道犬の血が入っていたと思われる雄犬。本名は「桃太郎」

とにかく、犬が異常なくらい「大好き!」な子供でした。

 

この大好き!な動物と、家畜と言われる食肉は、全く別の物。

と、違うフィールドに置いてました。

あまりこうゆう事って、本当は発信するべきじゃないのかな?と、文字にするのも迷いましたが、今の私が思う事、そして生きた動物がよく見るスーパーでパックされた「肉」になるまでの過程を考えるきっかけになればと思い、書かせて頂いております。

きっと好きに書いたら、すごくすごーく長くなっちゃう位、色々と考え自分なりに色々調べました。

その上で、お肉を食べたい気持ちがなくなったんです。

でも、食を変えるのってそう簡単な事ではないと思います。

単身ならまだしも、家族がいる場合家族の理解も得ないといけません。

うちには、ありがたい事に本当に理解のある旦那が一人だけおります。

うちの旦那は、肉好きぽっちゃりクルクル関西メガネです。(パーマを当てた、メガネの関西人の意)

食は個人の自由なので、肉を辞めてもらおうなんて一切思っていません。

でも正直に思う事を、自分がどうしていきたいかを話したところ、『一緒の食卓を囲んで同じものを食べたいから』と理解を示してくれました。

ただ、肉好きぽっちゃりクルクル関西メガネのストレスになって欲しくないので、バランス見ながら色々やっていこうと思っています。

魚はまだ食べてます。

基本的に食べたいと思ったものは食べて、迷った時は自分の体に聞いたりしております。

私は、ベジタリアンやヴィーガンと呼ばれる人が、なぜ肉や魚を、動物性のものを一切食べなくなったのかが疑問でした。

その背景を知りたいと思っていたので、自分が少しずつそんな発信もしていけたらなと思います。

そんなこんなで、食と向き合い「いただきます」とゆう言葉が前よりも有り難く、少しの重みをもった、今日この頃でした。

ではまた〜٩( ‘ω’ )

 

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