札幌のマツエクサロン peace penna ピースペンナ

このエントリーをはてなブックマークに追加

まさにカルチャーショック

「お肉を食べる事」をやめて、一番思う事は性格が穏やかになった事。

イライラしたり、怒ったりする事がすごく減った。

ネットで調べると、どうやら私だけではないようです。

理屈としては、お肉には殺される時に恐怖心、孤独感、不安感などから「アドレナリン」が発生するそう。

アドレナリン=「とうそう」する時にでるホルモンで、とうそうとは「闘争」「逃走」どちらの時もこのアドレナリンが出るそう。

戦う時や、逃げる時に分泌されるホルモン。

このアドレナリンが、お肉には細胞レベルで伝達されているらしく、スーパーで売られているお肉を食べる時もこのアドレナリンも一緒に摂取してしまうらしいです。

それでなのかどうかは、はっきりとは分からないけど、お肉を食べなくなってとにかく穏やかでゆったりとした性格になったのは偶然とは思えないのです。

妊娠も重なったので、尚更かもしれませんが。

 

韓国の犬食文化の見直し

つい先日、韓国の食文化で「犬を食べる事は違法」とゆう判断が下されたと言う記事を目にしました。

といっても食文化を急には変えられないのでは?と思うので、裏ではまだまだ食べられていると思いますが。

韓国人が「犬を食べる」と初めて聞いた時に、私は本当にショックを受けました。

30代の前半にオーストラリアに住んでる期間が1年弱あり、今でも交流のある韓国人の友達との何気ない会話。

 

友「日本に帰ったらまず何食べたい?」

私「お寿司とか、納豆とか、天ぷらとか〜色々!」

「じゃあさ〜、韓国帰ったら何食べたい?」

友「犬!!これが本当に美味しくてさ〜!」

 

って言われて、明らかに顔をしかめて非難してしまいました。

 

私「犬食べるの!? 信じられない!! 私犬大好きなんですけど!!!」ってな感じで。

でもその友人は、そう言われるのは想定内といった感じの余裕の表情で、

「だって文化だから」とサラリと言ったんです。

私は何も言えずに、納得せざるを得なかったんです。

なぜなら、その数ヶ月前に同じような非難を浴びていたから。

 

通っていた語学学校の、オーストラリア人の先生ビッキー。

いかにもオーストラリア人といった風貌の、真っ赤に髪を染めた、大きめで陽気なオージーのおばちゃん。

このビッキーに「日本人はクジラ食べるって本当!? 信じられない!! かわいそう!!!」って。

いやいやそんな事私に言われましても…って正直思った。

実際食べた事あるけど、出てきたから食べた訳で、昔の人の大事なタンパク源だった訳で…なんて説明できる英語力もなく、ちょっと切ない気持ちになったのを覚えています。

でもでも〜!!オーストラリアでは、カンガルー食べるんですよ?笑

北海道でゆうとエゾシカ的な存在で、増えちゃって困ってるの〜ってな感じです。

ビッキーとの話の流れから、来週カンガルーのソーセージ持ってきてあげる〜♪

って事で、恐る恐る食べました。

味はあんまり美味しくなかったなぁ〜。

でも当時の私は、カンガルー食べる方がどうかしてるぜ!!って思ったのを覚えています。

でもね、今思えば全部同じ命なんです。

姿形は違えど豚や、牛や、鳥だって同じ「命」。

でも私は命としてではなく、「食料」とゆう視点でしか見ていなかった。

なぜか、動物園でしか見れないような珍しい動物の命ほど、食べる事に抵抗があったような気がします。

 

また別の話。

あるテレビ番組で、色んな部族を尋ねる番組を見ていて、森の中で出てきた子猿をみて、レポーターの人が、

「ここで生まれてよかったな〜!隣の部族のとこで生まれてたら食べられてたぞ!」って。

そのお猿さんは、隣の部族では食用として扱われていたんです。

 

生まれる場所によっては、大事な大事なペットと言う名のパートナーで、生まれる場所によっては恐怖を与えて殺した方が美味しくなるって、とても同じ人間がするとは思えないような方法で殺されて、人間に食べられる犬。

命の尊さとはなんぞや。

お肉食べるのをやめて、改めて色々と考えさせられる日々でございます。

 

ただこれは私の主観、価値観であって、押し付けられるものでもないし、食はとても大事でそして自由な事だと思う。

ただシンプルに、思うことは、私たちは食べるもので出来ている。

今、私のお腹には小さな命が宿っていて、自分が何を選んで、何を食べるかがダイレクトに赤ちゃんに影響する事で、尚更思う。

自分を作ってくれている、食べるものと向き合って、感謝して頂く事は改めてとても大事な事だと思う今日この頃でした。

 

 

コメントを残す